こんにちは、もいちです。
今回のエントリーはちょっと考えさせられるお話。
「殺処分ゼロ」と聞いて思った事を書きたいと思います。
これは、もいちの至極個人的な見解である事を先にお断りさせていただきます。
それでは綴ってみます。
スポンサーリンク
動物は好きですか?
愛玩動物を指してペットと呼称しますね。
ペットと言えば、家庭で飼える動物だと無意識に思ってしまいますが、認識としては間違っていないでしょう。
愛玩とは大切にし可愛がる事。
その対象は何も犬猫鳥に限らず、さまざまな動物に及ぶのでしょう。
それこそ人それぞれです。
爬虫類をペットとして飼う人もいます。
昆虫だってそうです。
皆さんはペットを飼ってらっしゃいますか。
動物はお好きですか。
好きな事はもちろん、しっかり責任を果たせる自信があるのであれば問題ありません。
とは言え。
ペットを買う時。あるいは譲り受ける時など。
自ら望んでペットを入手するのであるならば、その時点では当然、自信も責任感も最も強く感じていることでしょう。
動物は数年生きますから。
ずっと健康なままではないかもしれません。
どこが痛い、気持ちが悪いなどとは訴えてきませんから、飼い主が気付いてやる事です。
病気という事になれば、専門家に頼るしかありません。
治療費は高額になりがちです。
とある獣医師のツイート話題になりました。
経済的に余裕がないのであればペットは飼わないで、と言うものです。
貧乏人はペットを飼うなというのかと、批判もあったようですが。
僕は全くもって異論はありません。
お金の掛かることなのです。
そもそも「飼わなくても良い」ものです。
それを敢えてするのだから、そこには余裕が必要なのは言うまでもないことだと、
僕は思います。
ましてやそれが、かけがえのない「生命」なのですから。
生体販売
あまり聞こえのいいものではない気もしますが。
生体販売とはその名の通り生きた物を販売することですね。
街にあるペットショップがまさにそれです。
ペットの代表格と言えば犬猫や鳥と思われますが、
それらを欲するならほとんどの人がペットショップにいかれるでしょう。
デートでペットショプに立ち寄るなんてこともありそうです。
子猫に子犬。可愛いその姿は見ているだけでも心が和みます。
しかし商品である以上売れ残る個体もあるのは想像に難くありません。
売れ残った子たちはどうなるのでしょうかね。
闇が深そうです。
ですがこれに関しては想像の域を出ません。
僕はその業界に詳しいわけではありませんし。
想像の域を出ないとはいえ、その想像にあることが、まったくの的外れとも言い切れないと思うのです。
だとしたなら、動物を好きな人たちがペットを買うとしたなら。
どうしたらよいでしょうね。
専門のブリーダーから譲ってもらうのが一番妥当でしょうか。
ですけどブリーダーにしても商売でやっているのであれば、
そこはやはり商品になるわけですから。
ペットショップの場合とどう違ってくるのか、いまいちピンときません。
マイクロチップ
殺処分にいたる事情は様々なものが考えられる為、単純に「ゼロにする」が正しいのかはわかりません。
本来ならば。いかなる事情だろうと、生まれたからには天寿を全うして欲しいのは、当たり前であり大前提でしょう。
これに関しては、実際にそういった現場に関わっている方々にしかわからないことでしょう。
僕がここで吐き出す事ほど無責任な事は無い。
そんな知恵もない僕が、それこそ浅知恵とは言え思うのは「マイクロチップ」の普及が望ましいのではないかという事です。
マイクロチップを埋め込むにあたり、埋め込まれる動物達に一切害の無いこと。
以降の生活に何の支障も無いこと。
これさえ問題ないのであれば積極的に導入するべきだと、僕は考えます。
ペットと過ごす事は、自身の時間をペットに捧げることでもあります。
時間は人生そのものです。
それでもペットが返してくれるモノは、何物にも代え難い事だらけです。
失った時の代償も半端ではありません。
それでも好きなのです。
共に生きるのは素晴らしい。
ですが、敢えてかわなければならないものではありません。
必要無いといわれれば、全くその通りなのがペットであります。
それゆえ、手軽に手に入れたものの飼いきれなくなったからと捨ててしまう。
少なからずそんな理不尽を抑止する手助けにはなるのではないでしょうか。
法の整備も必要になりますか。
放置され、保護された動物から飼い主が割り出されたとして。
単に送り返したとしてもあまり意味のない気がしますし。
そもそも捨てるような人はチップを埋め込んだりはしないか。
強制にしたならしたで、ペットショップの反発もありそうです。
難しいなやはり。僕では知恵も湧かない。
スポンサーリンク
まとめ
今回のエントリーを書いていて、こんな話を思い出しました。
処分されるレトリーバーとそのレトリーバーに寄り添う係員の写真。
過去にそんな写真がネットで拡散されていましたね。
思い出しただけで胸が締め付けられるようです。
こんな事も思い出しました。かなり古い事柄で記憶もあいまいどころではないですが。
あれは確か「ポスター」だったと思います。
苦情が殺到した為に撤去され、そこに書かれた文言も以降見ることも聞くこともありませんでした。
「捨てるなら自分で殺せ」
繰り返しになりますが正確には覚えていません。
ですがこんな内容の文章だったはずです。
過激な上に受け取りようによっては大変な事です。批判も仕方なったのでしょうか。
ですがちょっと考えたなら、これが「自分のペットを殺せ」と訴えているわけではないと、わかるはずです。
表現の是非はともかく、それまで信用していた飼い主に、ある日突然、わけのわからないところに置き去りにされる心境。
そのまま野良になるしかない運命に、果たして飼い主が戻ってくることを信じて疑わないペット。
餌は用意されるものであって自ら調達する事も出来ず、瘦せ細り餓死。
近所の人からの通報を受けて、野犬狩りに合うかもしれない。
数日前までは人に飼われ、大人しいだけの動物が、見捨てられた途端に野犬扱い。
捕獲され行き着く先は安楽死。
ペットにとっても、処分しなければならない他人にとってもあまりに酷い話です。
そんな身勝手な飼い主達に対しての、見捨てるくらいなら自らその責任を果たせと。
命を飼うのはそれほどの責任を伴うのだと、そんな意がこもったメッセージなのでしょう。
殺せと言うのではない。
そのくらいの覚悟で最期まで面倒みて下さね、の意味で間違い無いと考えます。
そしてそのメッセージに僕は賛同するのです。
欲しけりゃ買って、いらなくなったら捨てる。
そんなものではないでしょう。
殺処分を限りなくゼロに近づける方針には、心底応援したいと思います。
それと同時に、ペットを安易に買い求める事が出来ないようなルール作りも、必須なのだろうと、そう思うわけです。
かなりの散文になってしまいました。
かつて飼っていたペット達を思いながら綴ってみました。
ちょっと感傷的、感情的になる瞬間もありましたが。
もっと言いたい事あるな、などと不完全燃焼感を残しつつ、今回はこの辺りでおひらき。
今回もここまでお付き合いいただきありがとうございました。
では、また。
もいちでした。
スポンサーリンク
コメント